六十四歳の誕生日を迎えて

 

 二〇〇四年一二月二十四日 夜 急な背中の痛みと何ともいえぬ胸の苦しさ

救急車にて京阪奈(公済)病院へ搬送され、心筋梗塞と診断される。

ICUにて入院、冠動脈カテーテル手術をうけ 二〇〇五年正月を病院にて過ごす

 

二〇〇五年五月 再び背中の痛みが出て 又、カテーテルを挿入し二本目のステンとを入れることになる。 その年の暮れ 検査入院をし幸か不幸か体内出血にて貧血が

発見され、{痔}による出血と分かり、急きょ痔核除去手術がおこなわれた。

 

二〇〇六年一月中ごろ、腹痛が頻繁に起こり、京阪奈外科藤井先生によって検査、

腸に、憩室があり、一週間の絶食入院となるが精密検査の結果大腸に癌のある事が分る

 癌は進行癌にまで至っており、開腹手術にて子宮摘出はもちろんのことリンパ節の

摘出に続き、九時間以上の大手術となりました。この手術が二月二十三日と決まります

癌の宣告は 藤井先生から直接話されました。 今、笑い話で語ることが出来ますが

「ガ~ン」と脳天を叩きつけられたような気がしました。 まさか

心筋梗塞や癌と言う病気は自分には関係のない病気の名称としか思ってませんでした

 

 

 

男ばかりの家族のこと、年老いた母のこと、マンションを建てた借金のこと・・・・・

自分が死んだら~~~そんなことばかり考える日々が続きます。 そんなとき

十七歳年上の姉が、自分の気持ちを「五七五七七の文字に託してみたら?少しは

心が落ち着くかもよ!」と言ってくれたのです

毎日思いつきのまま、指を折ることで時の経つのが早くなったような気がします。

   さむぞらに 耐えて育てば ど根性

       我人生の 折り返しかな     

 

   必ずや 勝ってみせるのど根性

       寒路に延びる 夏野菜かな

 

そして二月二十三日の手術日がやってきました。主人はじめ子供たち義姉、姉たちに

見守られながら手術室へ 一応手術は成功した物の 大変きわどい手術であったと後に

聞くことになります。藤井先生が どうしてもストマーを付けず、自然体でと思ってくださり とりだした腸を湯で温め伸ばし、肛門と結合して下さったのです。しかし

その腸と肛門は結合してくれませんでした。そして一週間後 再度の手術を受けることになりました。三月一日 約五〇日間口からの食事をとることが出来なかった私は

 四〇キロ代の体重にまで下がっておりました。

二〇〇六年三月一日、この日は父の命日でもありました。

「どうか爺ちゃん 守ってください」と願わずにはいられませんでした。

結局、再手術では肛門と腸の結合は出来なく 体外に腸を出しストマーなる袋をつけることになったのです。皆は 『あぁ~渡哲也みたいやねぇ~』とおっしゃいます。

癌との戦いが始まりました。足の指一本を動かすことが痛みの原因になります

横をむきたくも動けず ただ時の流れを待つだけの日々が続きます。その中でたった一つの光明は、携帯のお気に入りの「新吾の部屋」のサイトを見ることが出来たのです。

三月十日大阪梅の花でサイトのイベントが行われることはすでに知っておりました

必ず その日までには歩けるようになりたい!一心でした!祈りました!

しかし再手術によって それもかなうことはありませんでした。

 

ある日息子が本を小脇に抱えて病室に入ってきました

「おかん、どうや?これお見舞い!」とずっしり重い本を枕もとに置いてくれたのです

その本は、ベットに横たわっている私には持ち上げることが出来ないほど、ずっしりと

重く 立派な本でした。

「大川橋蔵・華麗・優美・颯爽」大好きな橋様の写真集でした。枕もとに本を置き

 

 

 

手鏡で橋様のお姿を見るのがやっとです。でも不思議なんです!先生も看護師さんも

びっくりされる程 その日より回復は日を増すごとに早く自分も楽になって行くのです

     ひと筋の ほのかな明かり颯爽と

        優美・華麗で 痛みわすれる

 

     橋様の サイトの友に励まされ

        誓い新たに 生きる望みを

 

 

毎日のガーゼ交換や点滴にも 頑張ろうと思う気持ちが上昇し いつしか 手帳とペンを持ち五・七・五と指を数えられるようになり、自然と窓越しの外を見るようにまで

なってきました。

     ほんのりと 梅の香匂う木々の間に

        チチとさえずる メジロ 二羽なり

 

     せがみつつ 帰る夫に 接吻を

        もとめし我は 歳がいもなく

 

     苦しくも みんなの看護あればこそ

         感謝の気持ちで 家族のもとへ

 

     我が子ほど 年の違いし先生を

         一心ふらんに 思い募らせ

 

     何故かしら 夫のことを浮かぶれば

         目がしら熱く 涙こぼるる

 

     ひと折に まごころ籠る おり鶴は

         孫 末代に 届いてくれよや

 

     「また来てね」笑みで送りし わが夫(つま)の

         老いし背中に 手を合わせおり

 

     苦しき夜の ひとり目覚めしベットでの

         思い募るは 夫の手のぬくもり

 

         二人して 来世も夫婦になりたいと

         苦労話に 梅の花びら

 

     五七五 指おり数えつ 思いだす

         齢(よわい)重ねし 姉のまなざし

 

     初めての 操作に悩む 車いす

         行きつ 戻りつ みんなのもとへ

 

     かえらなん 時の流れよ緩やかに

         我待つ母は 卒寿なりけり

 

     毎週の 夕餉の支度 有難く

         ただ 嬉しさに 目がしら熱く

 

     桜花 今日咲こうか明日にしょか

         夫の運転 我 車いす   

 

     この子(孫)等と 楽しき老後 送りたし   

      今 再びと 命もやさん

 

     春風の 冷たき中で 咲き誇る

         犬のふぐりの 青き輝き

 

     息子らに 励まし給いし この体

         仲良きことは 母の宝ぞ

 

     病院の窓から見ゆる 桜花

         黄砂の嵐 我何とせず       

 

          病室の 天井の傷 シミの後

         今朝は 笑顔のピエロと見ゆる

 

     彼岸過ぎ 早しツバメの到来に

         我 退院の 兆しみえつつ

 

          帰りたや あぁ 帰りたや わが家へと

          帰りて 観たや 橋様新吾

 

     春がすみ ソメイヨシノの 満開に

          色どり競う 芝の青さか

 

     三つ月の 長きにわたる療養の

         家族の絆に 命 救わる

 

     退院を 近くにしての 思いには

         我人生の 夢よ 再び

 

 三か月以上の入院生活、手術から三年が過ぎ去りました。サイトのお友達との交流や

おしゃべり会に参加したり、橋蔵さんの映画を見に行ったり、ロケ地巡りをしたり

みんなに励まされ、癒され、又パソコンを習いブログを開設するにまでいたりました。

日々の生活も 抗がん剤もなくなり血糖値を気にしながらお腹の袋とも仲良く付き合い

時間があれば 好きな編み物をしたり、料理をしたり 充実した生活をおくっています。

これはただ、歳を重ねただけでなく 病気がこうしてくれたのだと思います

強がりではなく素直な気持ちで「病気よ! 有難う!」って言えるんです

これから何年生きて行けるかは分かりませんが 

生かされているのではなく 健康で 元気に楽しく生きて行きたいと思います

 

あんな大病をされたのにって 人から羨ましがられるような生き方をして行きたいです

 

人の立場を考えられるようになり、自身が優しくなったような気もします

 

結婚式の前日、父が贈ってくれた言葉です

 

朝にあっては コマネズミの如し

    昼にあっては 貴夫人の如し

       夜にあっては娼婦の如し と・・・・・・

         いつまでも輝ける女性でありたいと思ってます

           

 

 平成二十一年六月吉日            弘美六十四歳 初夏 

 

 

                         あとがき

 「出発進行!」を書いて

短歌を詠むなんておこがましい ただ 三十一文字に自分の気持ちを託し、心を落ち着かせただけなんです。 退院後、 ある日 ある事である人から一報をいただきました

ある人は今までの約三年間 毎日毎日 メールを送ってくださいました。メールの数は

数えきれません。ある人のおかげで「新吾の部屋」をより深く知り、たくさんのお友達が出来たのです。 ある人との出会いは橋蔵さんが与えて下さった(縁)と信じています。この出発進行はある人と出会った記念すべき日に出来上がりました。 それは

その日に作ろうと思って書いたものではありません。小さな本として出来上がったのが

偶然その日だったのです。 人との出会いを大切にすることが第二の人生への「出発

進行」となり、その第一歩を踏み出すことが出来たのだと思います。このように

短歌を書くことや橋蔵さんの息吹に触れることが、目標となって病気も退散してくれたに違いありません。人間 如何なる時にも前向きでいなければいけない事を今回

改めて知ることになりました。この文章を書きながら「おや?遺書?」なんて思ったこともありました。決して遺書ではありません。なぜなら「出発進行!」なのですから

出発進行!        ヨーシ                 2009/7/6